
浜崎あゆみインスタグラムより。松浦氏が提案した「壁ドン」写真
浜崎あゆみの自伝的小説『M 愛すべき人がいて』(幻冬舎)は、発売されるや否や大きな反響を呼んだ。浜崎あゆみがエイベックスから歌手としてデビューしスターになるまでの数年間、同社で現在、代表取締役会長CEOを務める松浦勝人氏と情熱的な恋愛をしていたことが綴られているからだ。
「事実に基づくフィクションである」との前置きつきながら、売れないアイドル女優だった10代半ばの浜崎あゆみが、ヴェルファーレのVIPルームで松浦氏と出会い、歌手になるまでの描写はいかにもなシンデレラストーリーではなく戸惑いが多く含まれていて読ませる。
浜崎あゆみは当時、ひとりめの妻と結婚していた松浦氏に片思いし、彼への想いを歌詞に綴り、デビューの前段階でいくつも曲を作った。デビュー曲のレコーディングが終わった頃、松浦氏は別の女性と不倫していて、妻とは正式に離婚した。浜崎あゆみがそんな彼にラブレターをFAXで送ると、松浦氏は不倫相手とは別れて浜崎あゆみとの真剣交際を「決断」。そこから二人の愛の日々が始まる。
まだ10代の幼い少女だった浜崎あゆみが、30代でレコード会社専務の肩書を持ち頼りがいのある松浦氏に惹かれたのは、わからなくもない。この頃の浜崎あゆみは、「いつか許される日が来たら、私は、マサと私の子供のためだけに歌う母になりたい」と願っていたという。
1998年4月、デビューシングル「poker face」をリリース。この年のうちに、浜崎あゆみは5枚ものシングルCDをリリースする。6月「YOU」、8月「Trust」、10月「For My Dear…」、12月「Depend on you」。すでにこの時点で“女子高生のカリスマ”になりつつあった。満を持して翌1999年1月に、ファーストアルバム「A Song for ××」を出し、2月、4月、5月と連続でどんどんCDを出していく。そして7月「Boys & Girls」でオリコン1位を獲得し、社会現象を巻き起こすレベルのブレイクを果たすのだった。
だが同年11月に出した曲「appears」の歌詞を綴っていた頃には、もう二人の関係に隙間風が吹いていた。多忙な二人はすれ違い、松浦氏はまたヴェルファーレに入り浸るようになった。デビューから二年が経った頃に二人は破局。浜崎あゆみは2000年4月リリースの「vogue」、5月「Far away」、6月「SEASONS」という、ファンに“絶望3部作”と呼ばれる楽曲を制作。そして12月、二人の決定的な別れを歌った「M」が大ヒットした。ここから約10年、浜崎あゆみは日本のヒットチャートTOPに君臨する。
小説には描かれなかったが、2001年にはTOKIO長瀬智也が「浜崎あゆみさんとは良いお付き合いをさせていただいています」と交際宣言。たびたび写真週刊誌にイチャイチャショットを掲載され、浜崎あゆみと長瀬智也は若い世代にとって憧れのカップル・ナンバーワンとなった。2002年の曲「independent」や2003年「ourselves」「ANGEL’S SONG」などは、いかにも長瀬との恋愛を歌っているとしてファン人気も高かった。一方で「Memorial address」は松浦氏の再婚を知らされ嘆く曲のようでもあり、「HANABI 〜episode II〜」も松浦氏への想いを断ち切ろうともがく曲のようだ。
残念ながら長瀬と浜崎は2007年に破局を公式発表している。
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