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今なお続く、北朝鮮「帰国事業」の余波…当事者たちの心情

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「かぞくのくに」角川書店

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 『かぞくのくに』は2012年に公開された在日コリアン2世の女性であるヤン・ヨンヒ監督・脚本による作品です。ヤン監督の個人的な経験をもとに制作された、実話に基づくフィクション映画です。

 1997年、夏。リエ(安藤サクラ)は朝鮮総連の幹部である父(津嘉山正種)、そして喫茶店を経営する母(宮崎美子)と暮らしています。リエには「帰国事業」に参加し、25年前に日本から北朝鮮に渡った兄・ソンホ(井浦新)がいます。ある日、ソンホが病気治療のために3カ月間日本に戻ってくることが判明し、大喜びする一家。

 迎えに指定されたのは金日成と金正日の写真が掲げられた中央会館の一室。痩せて長身のソンホは、質素な白いワイシャツに黒いズボン、胸に党員バッジを付けた姿で現れます。ソンホに駆け寄り、彼を抱きしめながら「大丈夫?」と声を掛けるリエ。

 そこで今回の訪問の責任者だという「ヤン同志」に紹介されます。ヤンはリエの父とは挨拶し、握手しますが、紹介されたリエにはじろりと不躾な視線を向けるだけ。戸惑うリエ。ヤンは実家にまで同行し、家族にこう伝えます。

「ソンホの3カ月の滞在期間中、事故や事件が起きないように組織から見張りが付きます。滞在中ソンホは許可なしに東京都からは出られません。非公式の日本滞在だということを忘れないでください。公安の監視もあるはずです」

 ヤンの役目は、リエたちの家のほど近くに停めた車から常にソンホとリエたちを監視することなのです。

帰国事業とは

 さて、「帰国事業」とは、なんでしょうか。映画の冒頭には、このようなテロップが流れます。

「1959年から20数年にわたり約9万人以上の在日コリアンが北朝鮮に移住した。『帰国者』と呼ばれる彼らが日本へ戻ることは困難を極めている」

 ソンホの場合、父が朝鮮総連の幹部なのと、叔父が多額の寄付をしたことで今回の帰国が特別に許可されたようでした。家族水入らずの団欒中も両親は、ソンホに私情を挟んだ言葉は掛けません。家の外に見張りがいる物々しい状況で、不自然なほどニコニコと陽気にはしゃぐ母親。家族で食卓を囲んでも朝鮮総連幹部としてふるまい、ソンホに「とにかくちゃんと治して帰らんとな。これはお前の任務だぞ」と言う父。

 対してリエと叔父からは、もう少し個人的な心情も交えた言葉が発せられます。リエは

「昔は痩せ細ったオッパの写真見ながら(お母さんは)何度も泣いてたんだよ……地上の楽園に行ったはずが、栄養失調になるなんて」

 とつぶやき、叔父は

「腐った資本主義社会も悪くないぞ。俺は兄貴の思想には反対だけど、お前たちのことは自分の子供みたいにかわいいんだよ」

 と、ソンホに小遣いを渡します。

肝心のソンホの気持ちとは

 そんな家族に囲まれ、肝心のソンホは、どのような気持ちでいるのか? それは、映画では、わかりやすい形では明らかにはなりません。井浦新の抑えた演技は素晴らしく、ソンホは無表情を貫きつつも、そこに微妙な気持ちの揺れが読み取れます。ソンホは監視や盗聴された状態なので、うかつなことは言えないし、行動できません。けれど、実家へ向かうシーンに彼の気持ちが表されている重要なヒントが隠されていると思います。

 中央会館から家へ向かう道中、ソンホは車の窓から放心したように周りの風景を眺めます。子供時代を過ごした、何気ない町の風景。個人商店、民家、ガソリンスタンド。車越しから見るとほぼ無音で流れてゆく、その風景。急に何を思ったか、ソンホは「車を停めてください」と頼みます。車から降りたソンホは、じわじわと色んな音に包まれていきます。セミの鳴き声。日本語の話し声。自転車が走り去る音。風鈴の音。それらの音に包まれながら、ゆっくりと商店街を歩き、ソンホは胸の党員バッチを外します。

 私はこのシーンのソンホの気持ちや状況がすごくよくわかる気がします。「ああ故郷に帰ってきたんだな」と実感するのって、とりたてて何か特別な瞬間などではなく、ふとした匂いや辺りの雑踏に懐かしさを感じた時じゃありませんか? これまで私にとって、井浦新さんは、様々な映画で何度も拝見してはいるのにも関わらず、似顔絵を描きづらい俳優さんNo.1でした。役によって全然雰囲気が違うので。別の言い方をすると、顔が覚えられない役者さんNo.1で、なぜこの人が「かっこいい」とされているのか、実はよくわかっていませんでした。けれど本作で、白いワイシャツをパンツにインして歩く痩身のソンホ(無表情)を演じる井浦新さんを拝見し、初めて「井浦新さんってかっこいい!」と実感できました。

 北朝鮮と日本は現在国交がない状態です。けれど、私のような一般人は「国交がない」ということを実際に実感することはなかなか難しい。その意味を、この映画はソンホと家族の関係性から教えてくれます。

 例えば、一家でソンホを迎えた食事の席で、ソンホはビールを手で隠しながら飲みます。それに対して、リエは「そんなことしなくていいんだよ」と明るく言い、ことさらに大げさなジェスチャーで、おどけながらビールを飲み干します。

 さらに、ソンホは昔の友達と会っても北朝鮮でどのような仕事をしているか、奥さんはどんな人なのか、生活の詳細は一切話すことができません。気まずい沈黙が流れます。

 極めつきは、2人っきりの時にリエがソンホに言われた、この言葉でしょう。

「今後、指定された誰かに会って話した内容を報告するとか、そういうことする気あるか?」

 「それはスパイとか?」と聞くリエに、「そんな大げさなことじゃないんだ」と答えるソンホ。これは戦時中ではなく、現代日本で起こっていることなのです。いつも奥歯にものが挟まったようなコミュニケーション。いろんな意味で分断された家族。これが、北朝鮮と日本の関係性をそのまま反映している状態なのかな、と思います。

 ソンホは、日本に3カ月間滞在する予定が、治療には半年以上の入院が必要だと告げられ、手術を断られてしまい、ほんの数日で帰国命令が出てしまいます。本当に重要なことは話されないままに、ソンホは再び北朝鮮へ帰ってしまいます。別れの時、車に乗り込むソンホの手をいつまでもだだっこのようにつかんで離さないリエの姿が印象的でした。

イデオロギーとは

 それにしても、ソンホが北朝鮮に渡ったのは、彼が11歳の頃。当時、北朝鮮は「地上の楽園」と謳われたそうです。現代の価値観とは大幅に違っていた頃に行われたことであり、親族に在日コリアンもいない私には、「昔はすごいことが行われていたんだな」と思うばかりです。1979年まで続いていたということは、さほど昔のことでもないのですが……。「帰国事業」にまつわる政治的・心情的な事情、そして両親がソンホにかけた期待など、決して私のような者には理解できる規模のことではないと思います。

 唯一、私にでも想像できることは、両親の祖国とはいえ、生まれた国を離れ、たった1人で北朝鮮に行った後のソンホの気持ちです。政治的理想や自身の将来の希望、そして両親の期待に応えたい気持ちも当然あっただろうけれど、それとは別の次元で、心細かっただろうな、寂しかっただろうな、辛かっただろうな、と。

 リエとソンホは家では日本語を話しています。そのことから察するに、日本でも学校では朝鮮語を勉強していても、家のパーソナルな空間では、ソンホは日本語を使っていたのではないでしょうか? そんな日本生まれ・日本育ちのソンホが、言葉や風習の全く違う国に行き、両親のDNAだけを拠り所に自分の居場所を探す……というのは、心にも体にも、とてつもなくハードなことだったであろうことは、容易に想像がつきます。けれども、そんなちっぽけで無力な子供の気持ちなんて、平気で踏み潰して「なかったこと」にできる。それがイデオロギーというものなのかもしれません。

■歯グキ露出狂/ テレビを持っていた頃も、観るのは朝の天気予報くらい、ということから推察されるように、あまりテレビとは良好な関係を築けていなかったが、地デジ化以降、それすらも放棄。テレビを所有しないまま、2年が過ぎた。2013年8月、仕事の為ようやくテレビを導入した。

大和彩

米国の大学と美大を卒業後、日本で会社員に。しかし会社の倒産やリストラなどで次々職を失い貧困に陥いる。その状況をリアルタイムで発信したブログがきっかけとなり2013年6月より「messy」にて執筆活動を始める。著書『失職女子。 ~私がリストラされてから、生活保護を受給するまで(WAVE出版)』。現在はうつ、子宮内膜症、腫瘍、腰痛など闘病中。好きな食べ物は、熱いお茶。

『失職女子。 ~私がリストラされてから、生活保護を受給するまで(WAVE出版)』