「つわり」がそんなにつらいものだったとは……
よく考えると、奇妙なタイトルに感じる。『ママだって、人間』。そりゃそうだろって話である。しかし、この言葉がことさらタイトルに採用され、一冊のマンガ作品として世に問われている背景には、「ママは人間ではない」という不文律のようなものがあるからだ。それは、どういうことなのか?
本書は、母親からの壮絶な過干渉をテーマにした『母がしんどい』(新人物往来社)によって“毒母ブーム”を巻き起こしたマンガ家・田房永子さんが、妊娠~出産~子育てを経験する中で見つけた様々な楽しみや違和感を描いたコミックエッセイ。妊娠中の性欲や乳首の感度、出産時の膣内の触感、女の子の「われめ」の洗い方……などなど、ほのぼのしたタッチで描かれているが、その内容は極めて赤裸々だ。
33歳、独身男性、子育て経験はもちろんなし。そんな私にとって、この読書経験は「すいません! 知りませんでした!」の連続だった。例えば「つわり」がつらいものだということは、知識としては知っていた。しかし、それが「突然、1日に桃半分しか食べられなく」なったり、「世界中がくさったニンニクみたいなにおい」に感じられて呼吸困難になるようなことだとは、想像すらしたことがなかった。妊婦さんのお腹は出産してもすぐには引っ込まないということも知らなかったし、赤ちゃんが母乳を吸うときにしばしば激痛がともなうことも知らなかった。自分がまったくの無知であることに、愕然とさせられた。
さらに本書では、出産や育児にまつわる“息苦しさ”についても描かれている。例えば子供を抱いていると、周囲からやたら「大変でしょ?」と声をかけられるそうだが、その言葉の根底には「ママならがんばって子育てしてるはず」というような決めつけがあり、「大変だけど、赤ちゃんがかわいいので楽しいです!」という返答しか許されないような空気の押しつけがあるという。
また、田房さんは出産後しばらくして、母乳が出なくなったためミルクに切り替えたのだが、周囲から「赤ちゃんにとって母乳が一番!」「できるだけ母乳を!」という無言の圧力を感じ、ミルクで育てることに罪悪感を覚えるようになってしまった。
こういった息苦しさの存在は、このように言語化してもらわなければ気づくことすらできなかったと思う。もしかしたら、自分も知らず知らずにそういう圧力をかけていたのでは……。無知が時に暴力性を帯びるということに、改めて愕然とした。おそらく、苦労をねぎらう言葉も、母乳が一番という言葉も、言ってる側に悪意はない。しかし、それによって妊婦さんや子育て中のママが苦痛やプレッシャーを感じてしまっている。これは見逃せない事実であり、「考えすぎでは?」などと済ませられる問題ではないはずだ。
ママが人間であることを受け入れるのが怖い!
タイトルの『ママだって、人間』というのは、こういった状況に対する田房さんの異議申し立てなのだと思う。ママだって性欲はあるし、乳首が痛いのはイヤだし、時には手抜きもしたいし、おっかなびっくり子育てしてるし、子供がかわいくない時もあるし、浮気願望も芽生えるし、「出産で股がビロビロになっちゃって」心を痛めていたりもする。でも、それって普通のことじゃない? それが人間ってものでしょ?
田房さんの叫びは、呑気な独身男性である私の胸に、激しく突き刺さった。もしかしたら自分も、母親のことを人間扱いしてこなかったかもしれない。いつもそこにいてくれて、いつも子供の心配をしていてくれる人。そんな存在として母親を捉えてはこなかったか。もちろんそれは自分の母親だけに限らない。あらゆる“ママ”に対し、画一的な見方をしてはいなかっただろうか。……胸を張って否定できる自信が1ミリもなかった。
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