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おいでイスタ~ンブ~ウル~ うらまないのがル~ル~
だから愛したこと~も~ ひと踊り か~ぜの藻屑~
飛んでイスタ~ンブゥ~ウル~ 光る砂漠でロ~ル~
夜だけのぉ~ パラダイッス~
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「飛んでイスタンブール」歌:庄野真代(1978年) のサビの歌詞でございます。
懐メロで耳にし、大学生になってカラオケで歌い始め、BBAになっても好きで十八番な昭和の歌謡曲でございます。
今日はこの曲がB・G・M……
~~回想~~
友人Yの結婚パーティーの数日後、飲み会に誘われてアジアンな店に行った時のこと。
新郎新婦とその友達2人と私の5人で話しておりました。
新婚だというのにその友人Yは海外に一人旅に出かけるとのこと。この飲み会は壮行会というかお見送り会というか。
ハネムーンとは別に考えていたようで、とにかく海外一人旅という経験が欲しかったらしいです。
ハネムーンも行きたいけど、一人旅もしたい! と。
そうなのか……。
聞けばみんな海外個人旅行経験者だそうで。話を聞いたり旅の写真を見せられたりして、へえ……と思っていたら、
「この流れだと次に一人旅行くのあんたじゃないの?」と言われました。
む……。
「そうだね~」なんてその場では流して2年後。
なんとなく金を貯め、2007年春 、旅に出ることにしました。
行き先はトルコ。
飛んでイスタンブール、飛んでイスタンブールって何度も歌ってきたのに一度も飛んでないし!
宿のネット予約途中でPCがバグってしまい、トルコの宿から予約確認の国際電話がかかってきてしまうという旅の始まりでした。
成田(飛行機)スイス(飛行機)イスタンブール(飛行機)カイセリ(バス)カッパドキア(バス)パムッカレ(バス)デニズリ(バス)セルチュク(バス・フェリー)イスタンブール
~中略~
イスタンブールのグランバザール(市場)をぶらついていた時。
歩き疲れたので、チャイ(紅茶)でも飲もうと思いました。
表通りには観光客向けのカフェがありました。チャイが日本円で300円。
「そんなところ行くもんか! きっと現地の人向けの茶飲み場があるはず! 」(心の声)
ちょっと裏路地みたいなところへ入ってみると……ありました。
立ち飲みっぽいけどまあいいか。
「チャイ下さい」「じゃあこっちおいで」
トンネル状になった石畳のある裏通りに連れて行かれ、椅子を持ってきて私を座らせ、 さらにおじさん2人がかりで炭の暖炉を持ってきてくれました。 4月とは思えない寒さだったのでとても助かりました。
そこのチャイは日本円で50円くらいだったでしょうか? 高くても80円くらいだったと思いますが曖昧です。
しかし、お代わりを2杯ほどくれた上、炭酸水までくれたので、もはや値段は関係なくなってきました。
ほのぼのとくつろいでたら、どうも視線を感じます。
おじさんたちに囲まれて突つかれてる男がいました。
多分、あの日本人女を連れ出せよとでも言ってるんだろうな……。
言葉は通じないけど、通じないから余計に伝わってしまうこともあるなと思いました。
案の定、男がやってきて「アヤソフィア大聖堂行こうよ」。 男の名はムスタファとな。
「アヤソフィアもう閉まってるよ」と突っ込むと「OK」とな。
言葉もろくに通じない状態なのに、私はその男に連れ出されて散歩しました。
自分の持ってる地図のわかる範囲までなら付き合おうではないか。と思ったのです。
寂しさからか好奇心からか……両方だな。
男はトラム(路面電車)代もジュース代もチーズトースト代もトイレ代も出してくれました。
お金を出そうとしても「ノープロブレム」と言います。
しばらくすると男は「マルマラ」と言いました。
ん? マルマラ?
そういやマルマラ海って地図に載ってたな。海の眺めを見ようってのか?
あー海ですか……と……待った!
なんで海の眺めを見るのに地下の部屋に連れて行こうとするんだよ!?
さっき歩きながら携帯で電話した後、バイクに乗ってきた男から受け取った鍵はなんなのさ。
「私は初めてひとりで海外旅行をしてる。怖いから行けない」と言ってみたが、通じないらしい。
らちがあかんので地図に載ってた本屋に連れて行き、 辞書を開いて説明しました。
「あなたは悪い人だとは思わない。私は初めての一人旅だから怖い。地下には付いていけない」と言いたかったのですが……。
ちゃんと通じたのかどうかは怪しかったのですが、地下に行くのはナシになりました。
外は暗くなってきて、そいつは何となく大胆になり始めていました。
肩を抱こうとしたり、手を繋ごうとしたり。
夕方までのはにかみは何だったんだ?
こいつの目的は玉の輿か? 日本女をものにすれば楽に暮らせるとか?
「セルチュク ベイ」と言ってみました。セルチュクは地名、ベイは男という意味です。
セルチュクに男がいると思ってくれないかしらと ひたすら繰り返したら、男はようやく気がついた様子。
「私帰る」と言ったらなんと。
「ペイマネー」 とな。
はい!?
「トラムやらジュースやら僕はたくさんお金払った。返せ」
めんどくさかったので一旦払おうと思いましたが納得がいきませんでした。
「じゃ私がお金払おうとした時、なんでノープロブレムって言ったの?」
男は口ごもりバイバイと言いました。
あ~。私は何をやっているんだろうと自分が情けなくなりゲンナリ……。完全に人選ミスでした。
セルチュクに男なんてできてませんでしたが、そこで出会った人たちは陽気で親切でした。
セルチュクで出くわしたお兄ちゃんのバイクの後ろに乗って、遺跡の丘の上でクルド民謡を披露してもらい、そのお兄ちゃんの家でご飯をご馳走になったことを思い出しました。家族みんなで食べました。
思いがけず『突撃!となりの晩ご飯』(日本テレビ系)です。
(その昔、レポーターが一般家庭に押し掛けてその家のご飯をレポートするというコーナーがありましてよ……)
金を取られることもなく、変に引き止められることもなく、無事に宿に帰ることができました。
楽しいという気持ちがあまり表情に出ていなかったせいか「あなたを楽しませることができなくてごめんなさい」とセルチュク兄ちゃんに言われました。私はびっくりして謝り返して笑いました。
セルチュクの夜は楽しかったのに、イスタンブールの夜は散々でした。
踵を返して桟橋を歩くと、ライトアップされたアヤソフィア大聖堂が必要以上にロマンチックでやるせなかったです。
一人旅がしたくてひとりで来たはずなのに、本当~にやるせなかったです。
きぃぃぃぃぃぃ〜!!
宿に戻ってシャワーを浴びてさっさと寝るぞ! と思ったら暗い部屋に人影がモソモソしてギョッとしました。
共同部屋には私だけだったのに……
後でわかったのですが、宿主が空きベッドで仮眠をとっていたとのことでした。
お化け屋敷かい……。
翌朝。公園でパンとざくろジュースの簡単な朝食をとっておりました。
すると、男の人に声をかけられました。
「チャイでも飲まない?」 とな。
いい人そうだけどもう面倒だよと思い、昨夜私を連れ出した男の話をしました。そんなわけで今ナーバスだからわかってくれと。
すると「うわ~、それは大変だったね」と言われました。
彼は旅行代理店で日本人と働いてるとのことでした。名をファリさんという。
「事務所近くだから来ない?」 とのこと。
もういいや。と投げやりになって付いて行きました。(今思うといろいろと無謀……)
事務所には確かに日本人の男の人がいました。カワイさん。
カワイさんとファリさんと私。簡単に自己紹介をしました。
カワイさんに昨夜の出来事を話すと笑いだし、
「あなた一日にしてトルコ人男性の真髄を見たね~」と言いました。
トルコ男ってそうなの?
「プライド高いくせにそういうところはケチなんだよ」
あら~……そうでしたか……。
でも、確かに断られるってことに対して、ムキになっていたような気もしますわ。
しばらくしてファリさんが 「さあ、もうチャイは飲めるでしょ?」 と言いました。
私は苦笑いでチャイを飲みました。
トルコに来てから、特にイスタンブールに来てから、匂いを嗅いだりいちいち祈るような気持ちでチャイを飲んでいたのでありました。
観光客狙いの睡眠薬強盗が多発してると旅の本に書いてあったので警戒していたのです。
中には日本人がグルになってるケースもあると。
そんなわけで事務所には付いて行ったものの、勧められたチャイをあっさり飲めなかったのです。
だったら初めから事務所に付いて行くなよって話ですけどね……。
ファリさんは、なかなかチャイに手を付けない私の警戒心を見透かしてたのでした。
「旅行者としてはそれでいいんだから気にしないで」とファリさんは言ってくれました。
チャイは美味しかったです。
ファリは美しかったです。
ファリは美味しかった、じゃないのよ。
韻を踏みたかったのyo!
(波濤)(波濤)(波濤)(波濤)ザッバ〜ン(波濤)(波濤)(波濤)(波濤)
……まあそんなわけで。
ファリさんとカワイさんと別れた後、アヤソフィア大聖堂をひとりでゆっくり見てランチを食べました。
その時に食べたアダナケバブがとても美味しかったです。
トルコの人たちはみんな「なんで!?」と思うくらい親切でした。温かいというより熱かったです。
駅で荷物を持ってくれたお爺さんの「この(日本)人の役に立とう!」というオーラを感じて「?」
高速バスに乗り遅れた私が悪いのに、なんとかチケットを無駄にせずに済むように運転手同士で乗り換え調整してくれて「?」
いきなり自宅に押し掛けたのにご飯をご馳走してくれて「?」
あまりにも「なんで!?」と思ったのでトルコについて調べてみたら、どうも過去の事件(エルトゥールル号事件)がきっかけだったようです。
感動気味に後輩に話したら「え? エルトゥールル号事件は有名な話ですよ!?」と言われてしまいました。旅から帰って調べるまで知りませんでした。はい。
そんな親切なトルコの人たちがいた中で、ムスタファは私の旅の記憶に面白く残っています。
と、いうわけで今回は「アダナケバブ」です。
参りましょう~。