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結婚・出産をしない女に価値はないのか~セクハラ都議会野次を考える~

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Photo by Martin Abegglen from Flickr

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 東京都議会での公開セクハラが問題となっている。18日の一般質問で、女性の晩婚化の現状や妊娠・出産・不妊に悩む女性支援の必要性を訴えた塩村文夏氏(みんなの党)に対し、自民都議らが座る一角から「そんなこと言う前に、お前が早く結婚しないのか!」「産めないのか!」という野次が飛んだという。さらに議場の一部からは笑いが起こり、都知事の舛添要一氏も笑っていたというから驚く。

 都議会という公の場でこのような発言をし、それを笑うことができるのだから、発言した議員とその周辺人物は、女性に対して「結婚して子供を産め」と強要することに何の疑問も感じていないのだろう。むしろなぜこの野次が問題視されるのかすら、意味がわからないかもしれない。逆の立場で、男性議員が男性の晩婚化の現状や妊娠・出産・不妊に悩む男性支援の必要性を訴えて、「お前は嫁さんもらわないのか?」「ちゃんと種はあるのか」などと野次が飛んだとしたら……それがどれだけ下品で愚劣な言葉かわかるだろうか。それとも「俺は既婚だし子供もいるし嫁はちゃんと家庭におさまってるし、関係ない」と思うのだろうか。

 しかしこの野次は、既婚未婚、子持ちの如何にかかわらず、あらゆる女性への蔑視につながる。結婚する・しない、子供を産む・産まないは女の義務ではない。あくまでも選択肢であり、決定権は個人にある。あらゆる国民が男女間の結婚をし、子供を産み育て、しっかり働いて給料をもらい、納税をして、ほどよきところで人生を終える。野次を飛ばした議員は、そんな一生を過ごすことが都民のロールモデルでありその道から外れることは「良き人間として認められない」、そう言っていることと同義ではないか。

「だってみんながそうじゃないと、困るじゃないか」

 そんな言い訳が聞こえてきそうである。だが「良き生き方」を個々人に押し付ける社会は、果たして「良き社会」なのか? 一面的な価値観の呪縛が、どれだけ多くの個人を傷つけ、結果的に「良き社会」を損なうことになるということを、野次を飛ばした議員は知っておくべきだろう。

 そのうえ女性が結婚して子供を産んだら産んだで、働き続ける女性には「子育てに専念しろ」「子供がかわいそう」と同じ口で言うのだろうから、こちらは空いた口が塞がらない。女は政治にかかわるな、とでも言いたいのだろうか。

 少子化対策を真剣に検討するならば、「結婚=出産」と直結させることや、「両親の健在」「祖父母の健在(資産状況含)」「祖父母との友好関係」などの条件を前提とした日本の育児概念をひとまずまっさらにし、そのうえで子育て環境の整備をすべきだろう。でなければいつまで経っても少子化問題からは抜け出せそうにない。さらに言うなら、「結婚しようがしまいが、子供を産もうが産むまいが」誰からも何のジャッジもされない社会になってほしいと願う。
(ヒポポ照子)

ヒポポ照子

東京で働くお母さんのひとり。大きなカバを見るのが好きです。